親の願いと子供の夢

今日も1日、お疲れさまです。

2025年の冬アニメで話題になった「メダリスト」という作品があります。

私が特に印象に残っているのは初回で、主人公いのりさんの母親の発言です。

その大枠は

「他の子は早いと5歳くらいから練習している、だから今更フィギュアスケートを始めたところで(経験値で差がありすぎるので)結果なんか出せないし無理だ」

というもので、個人的に非常に印象に残ってます。

ここには親の願い(無難な将来の選択肢)と子供の夢(自分の興味のあること)とで様々な思いが根底にあるように思います。

親の願いの中には「経済的に自立して欲しい」、「善悪の区別のつく大人になって欲しい」、「できれば受験失敗などのショックなこと(挫折)は避けたい」などいくつかあると思います。

一言で言えば「ちゃんとした大人になって欲しい」という願いです。

有名にならなくても、出世しなくても、ただ真っ当に生きてほしいというものではないでしょうか??

その一方で子供の夢はストレートなものです。

実現するまでに何をするかというものを度外視して、自分の将来の姿として夢を見るわけです。

その姿を描いた上で「これからどうすればいいか??」というものを子供は考えます。

親と子供とでは見ている先のものが異なるんですね。

親の視点から見れば「夢を見るのはいいけど、挫折して立ち直れなくなったら?学校での勉強は大丈夫か??」という不安が見え隠れし、

子供の視点から見れば「実現するためにまずは自分が何を始めるか??」という目標が見え始める、

といった具合です。

子供の夢を一番近くで応援するのは間違いなくその家族です。それはただ「がんばれ」と声をかけて応援するだけでなく、経済的な部分でも支援が必要になります。

この経済的な理由で親が子供の夢の選択肢を狭めているという現実もあると私は思います。世の中、何をするにもお金がかかりますからね。

一方で、親が子供の掲げた夢の実現のための費用を考えたときに、明らかに自分たちの家庭では算出できないような費用の場合や経験の差から明らかに挫折すると判断した場合、「メダリスト」の初回のような選択になることも理解できます。

私が思うのは「夢を見るのは別に子供だけに限った話ではない」ということです。

私の育った環境は過保護かつ過干渉な部分も多々ありました。

卒業文集の「将来の夢」を書くのが一番嫌なものでした。何を書いても「できるわけがない!!」という全否定でしたからね。部活動も自分のやりたいものではなく、いわゆる「先輩に知り合いの多い部活」というものを選ぶことになりました。

2024年に私も40代に突入して未だ独身、立派な売れ残りオッサンですが、比較的やりたいことを不自由なくやれており、夢とは言わないまでも、ようやく自分のやりたいことに目を向けられるようになりました。

何歳からでもやりたいことをやるのに遅いということはありません。

中には「いい歳してそんなこと・・・」と思われたり、実際に否定的に言われたりするかもしれませんが、自分のやりたいことに対して正直になることに何も後ろめたさはありません。

本来、夢というのは他の誰かに言われて決めるものでもなく、それを理由に諦めるものでもありません。

自分の人生、好き勝手生きましょう。当然ながら、迷惑をかけないという前提ですが・・・。

「新米オッサン冒険者」というアニメがあって、ここの序盤4話くらいまでに全てが語られてます。

興味のある方は是非!!

最後までお読みいただきありがとうございます。

それでは皆さん、今日も1日お疲れさまです。

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